わし お か げ じ 鷲尾勘解治が関係した別子銅山の近代化産業遺産 |
![]() |
鷲尾勘解治 明治14年〜昭和56年(1881〜1981) | ![]() |
兵庫県神戸市出身。 明治40年京都帝国大学法学部を卒業し、住友入社。 直ち(ただち)に別子鉱業所勤務となり、大正15年同所支配人となる。 昭和2年住友別子鉱山(株)設立に当たり常務取締役(じょうむとりしまりやく)、同6年住友合資(ごうし)会社常務理事(じょうむりじ)に就任。 一貫(いっかん)して地域会社との共存共栄(きょうぞんきょうえい)路線をとったが、同8年故(ゆえ)あって退職。 その後昭和27年新居浜市に帰住(きじゅう)し、社会教育に尽力(じんりょく)した。 |
|
鷲尾勘解治 住友史料館所蔵 |
![]() |
|||
まいん | アイコン | 近代化産業遺産 | キャッチコピー |
![]() |
![]() |
山根グラウンド | ![]() |
![]() |
![]() |
やまだしゃたく 山田社宅 |
![]() |
![]() |
![]() |
じきょうしゃしょうわどおり 自彊舎・昭和通り (共存・共栄橋) |
![]() |