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現大山積神社は別子記念館のある生子山麓にあります。 この大山積神社の歴史は、1691年別子銅山開坑直後、鎮護の神として大三島(現愛媛県越智郡大三島町)の大山祇神社より勧請し、当初は別子山村足谷の山方、縁起の端に建立させていましたが、その後、1893年には別子山村足谷の目出度町に遷座され、1915年には東平、1928年に現在の生子山麓へと奉遷されました。 この神社跡の写真は1892年以来木方から遷された大山積神社跡です。 この神社では正月の大ノ(おおばく)祭と5月の山神祭には大変な賑わいで、神社のせまい境内で、山方(採鉱)と吹方(製錬)の両部落の小さな太鼓台が鉢合わせをする等勇壮なものでした。
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実際この場所に行き一番に感じたのはこの様な場所でよく太鼓台の鉢合わせをしていたことです。 (鉢合わせというのは太鼓台同士をぶつけることです。) 現在の鉢合わせでも激しく負傷者も出ているのにこの様な狭い場所で行ったら負傷者が多く出ていたと感じました。 その反面、鉢合わせは労働者の競争心をかき立てる中で、団結意識を高めるために重要なものであったと思います。 現在の神社跡はうっそうと木々が茂み、他の場所同様自然の中に戻っていました。 この風景を見ているとなにか心が落ち着きましたが、心の奥でなぜかさみしさを感じました。
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緑陰の中に静かに残された神社跡の様子を
ヒデオでご覧ください。 |