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大正初期の柳谷・唐谷社宅 別子銅山記念館蔵 |
写真、下方手前の社宅が唐谷(からたに)社宅19戸、その奥が柳谷(やなぎたに)社宅です。 柳谷(やなぎだに)社宅の名前の由来は、第一通洞北口の北側を源とする上柳谷、下柳谷の合流する谷の側面にねこ柳があったことからつきました。 大正10年(1921)には労働者の社宅が67件ありました。 唐谷(からたに)社宅の名前の由来は、東平方面の水源地となった唐谷のそばであったことからつきました。 柳谷・唐谷の社宅は、第三通洞の上で第1通洞のある角石原に向かう途中にありました。 昭和初期には、撤去されました。柳谷・唐谷の写真はこの1枚しかありません貴重な資料です。 |
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