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尾端社宅遠望 旧:昭和43年(1968) 原茂夫氏撮影 現:平成12年(2000)4月29日撮影 |
尾端(おばな)社宅の名前の由来は、一の森の尾根筋の端に当たるところから尾端と呼ばれるようになりました。 尾端社宅は、大正10年(1921)11月9日現在で、傭人(ようにん=職員)社宅20戸、労働社宅が45戸の両方があり、合わせて65戸ありました。 東平坑閉坑直前の昭和42年(1967)には、全部で43戸でした。 |
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尾端社宅配置図が拡大されます。 昭和34年6月現在 |
別子銅山記念館蔵 |
尾端社宅は、辷坂社宅や喜三谷社宅などよりは建設年度が遅かったそうです。 尾端社宅には、他の社宅のようにクラブ、浴場、守衛本部、巡査の派出所、豆腐屋、飯場などがありませんでした。 今回ホームページ作成に関しての情報提供、制作でご協力をいただいた原茂夫さんと石川登喜代さんは、この尾端のご出身です。 |
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小学校から尾端社宅を望む 昭和43年(1968) 原茂夫氏撮影 | |
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左写真は、東平自然の家に入る手前のカーブにある尾端社宅跡です。 頑丈な石垣が今も姿を見せています。 今は、植林され、緑の尾根に戻っています。 |
尾端社宅跡 平成12年(2000)11月25日撮影 |
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伊勢湾台風猛威をふるう 昭和34年10月10日発行 別子ニュースより |
石川登貴代さん 平成12年(2000)11月16日 観光ボランティアガイド講座(市民文化センター)にて収録 |
社宅の広さについて 尾端社宅で生活をされたときのご体験 (0分51秒) |
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