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旧:昭和43年(1968) 原茂夫氏撮影 現:平成12年(2000)11月25日撮影 |
一の森は海抜832.6メートルの小高い山です。 東平を象徴する場所の一つといえます。 また、一の森の平らな土地は、もともと山であったところを作務(さむ:自彊舎を参照して下さい)によって人工的にならして作りました。 大正4年(1915)に旧別子の目出度町(めったまち)から大山積神社が一の森へ奉遷(ほうせん)されていますので、それより少し前に作られたと考えられます。 ですから、約53年もの間、東平の人々の喜びや笑いの声が山々へこだましていたところです。 そして、人々の心が一つになる場所でもありました。 今では、木々が茂り、自然に帰り、運動場跡へ上がるのさえ大変な状態になっていますが、昔を懐かしむ人々の要望により、平成13年(2001)3月頃から、道を整備する計画があるそうです。 一の森からの新居浜の展望は格別なものだそうです。 |
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運動会は東平では、一番大きな行事でした。 応援団も賑やかで、昭和32年(1957)頃の東平の人口は1600人でしたが、そのほとんどの人が集まっているような盛況さでした。 歓声は終日山間に、こだましていました。 運動会の他には、ソフトボールやマラソン大会が行われ、マラソン大会では一の森を巡ってくる大変なものでした。 今の私たちには考えられないパワーです! 左の写真は、最後の東平小学校の運動会です。 この時は、児童数も減り、地域の方も一緒に運動会を楽しみました。 |
最後の運動会 昭和42年(1967)9月24日 原茂夫氏撮影 | |
グランドは別子銅山の採鉱本部があっただけあって大変立派なものでした。 一周100メートルのトラックがあり、そのまわりに観客が座れる程度の大きさでした。 なんと、トラックは円形だったそうです。 走るのが大変そう・・・・ ソフトボールで、ホームランが出たらボールが無くなっていたそうです。 |
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東平盆踊り風景 昭和37年(1962)9月10日 別子銅山記念館所蔵 | |
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一の森上がり口 平成12年(2000)11月25日撮影 | 道無き道を・・・ 平成12年(2000)11月25日撮影 |
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井上省二さんに先導していただき、一の森のグランドを目指しましたが、道には大木が倒れ、道も崩れてしまっていました。 ようやく、上がったところにグランド入り口の階段がありました。 苦労して登った一の森は、あの頃とはまったく違っていました。 かつてのグランドには植林がされ、自然に帰っていたのには唖然となってしまいました。 奥に進んでみると大山積神社の社殿の跡がありました。 かつて、行事があるときには、多くの人たちが集っていた場所だとはとても信じられませんでした。 |
一の森グランド入口 平成12年(2000)11月25日撮影 |
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東平運動会で山の社員は楽しむ 昭和36年10月10日発行 別子ニュースより |
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東平のソフト大会 昭和36年11月10日発行 別子ニュースより |
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東平の盆踊り 昭和37年9月10日発行 別子ニュースより |
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