山での製錬


負子(おいこ)と掘子(ほりこ)
負子(おいこ)と掘子(ほりこ)   平成13(2001)年9月29日撮影  マイントピア別子展示


江戸時代の精銅: 丁銅(左)・丸銅(右上)・棹銅(右下)  別子銅山記念館所蔵
世界一!

 別子銅山は、元禄4(1691)年の開坑以来、昭和48(1973)年の閉山までの283年間約70万トンの銅を産出しました。
 その銅は、江戸時代に長崎での海外貿易の決済用とされ、幕府の財政を支えました。
 開坑7年後の元禄11(1698)年には、約1500トンの銅を産出し当時として世界一を誇りました。
  左の写真は、江戸時代の精銅です。
 別子銅山から送られた粗銅(あらどう)を大阪の鰻谷にある銅吹所で精銅とし、貿易用及び国内販売用として各種の型につくられました。
 国内販売用は、丁銅(ていどう)が船手飾り、瓦板など諸道具に、丸銅(まるどう)が、茶瓶、薬缶、銅かま類に使用されました。
 棹銅(さおどう)は、長崎貿易の決済にあてられたため、「御用銅」とも呼ばれました。
江戸時代の精銅: 丁銅(左)・丸銅(右上)・棹銅(右下)  
別子銅山記念館所蔵


別子銅山開坑以来の産出量
別子銅山年表(付産銅表)より 別子銅山記念館所蔵



堀場の様子
採鉱

 開坑当時の採鉱は、主に「つち」「のみ」などを使う、手作業で行われました。また地表近くの通気の良いところでは薪に火をつけ、その熱で膨張させ砕き、鉱石を採るという方法も使われました。
 左側の写真に写っている人形の着ている服は、「鋪着(しきぎ)」といって、坑夫の作業着でしたが、坑道内の事故で亡くなった際に、すぐにでも白装束になれるよう、黒い帯が一本の糸で縫われていました。
 非常に厳しい労働環境で、まさに命がけです。
堀場の様子 平成13年(2001)9月29日撮影 マイントピア別子展示
 右の写真は、採掘の時に使われていた道具です。
 
サザエの貝殻「螺灯(らとう)」と言って、昔の坑内用の明かりです。
 1895(明治28)年頃
まで使用していました。
 写真中央は「せっとう」、右は「すかし」と言います。 
 ところで、「せっとう」はオランダ語の「マセットウ−槌(つち)」からきたと言われています。
明治中頃迄使用されていた螺灯(らとう)せっとうすかし
明治中頃迄使用されていた螺灯(らとう)せっとうすかし  
 別子銅山記念館所蔵 
体験コーナーでさく岩機の体験  「さく岩機」は、ダイナマイトを挿入する際の穴開けに利用される道具です。
 1891(明治24)年
第二通洞を開削する際に初めて導入されました。
 このさく岩機を持ったとき、
百年以上も前からに使われていたことにすごくびっくりしました。
 設置の関係で、重さは分かりませんでしたが、見るからに重たそうでした。
 
暗い地中で、大変な作業が行われていたのだと感じました。
体験コーナーでさく岩機の体験 平成13(2001)年12月15日撮影

選鉱

 
坑内から運びだされた鉱石は、「砕女(かなめ)」と呼ばれる女性たちによって、かなづちで一寸(3p)角位の大きさに砕かれ、色の濃淡により選別(「選鉱(せんこう)」)されていましたました。
 とても根気のいる作業で、子供を抱えた女性もいて生活の大変さを感じさせます。
 先日、鹿児島の菱刈鉱山の様子をビデオで拝見しましたが、選鉱という作業は、時代を経ても女性が中心となって仕事をされており、女性のきめ細かさが必要な作業なんだと思いました。
砕女小屋
砕女小屋の様子   平成13(2001)年9月29日撮影 
 マイントピア別子展示 
焼鉱の様子
焼鉱

 次に、鉱石を焼くことで、鉱石中の硫黄分を取り除きます。この作業を「焼鉱(しょうこう)」と言います。
 ここでは砕かれた鉱石を、薪といっしょに左の写真のような焼窯(やきがま)に入れ、約30日もかけて焙焼(蒸焼き)していた様子を再現しています。
 鉱石の重さはは2、3割減って銅・鉄の酸化物石英少量の硫黄を含む焼鉱になります。
焼鉱の様子   平成13年(2001)12月15日撮影 
マイントピ別子展示 

製錬

 
右の写真は、製錬の第1段階(「一番吹き」または「ノ吹き(はくぶき)」とも言う)をしている様子を再現しています。
 焼鉱を溶剤となる珪石木炭とともに、吹床(ふきどこ−溶鉱炉)に入れ、「ふいご」で風を送って熱して溶かすと、成分の比重によって、”カラミ””カワ”に分離します。
 ”カラミ”とは銅をほとんど含まない鉄分の多い残りカスです。
 ”カワ”とは、銅成分を含んだもの(硫化銅)です。”カラミ”に比べ比重が重く、下に沈みます。
 写真は、”カワ”を溝から外へ流し、取り出している様子です。
溶鉱の様子
一番吹きの様子   平成13年(2001)12月15日撮影 
マイントピア別子展示 
真吹の様子  次に、「二番吹き」または、「真吹(まぶき)」「間吹(まぶき)」という作業に移ります。
 先ほどの、”カワ”を次の床(真吹床または間吹床)に入れ、前工程と同じように、珪石とともに木炭の加熱で溶かします。
 すると、さらに”カワ”の中の硫黄分が亜硫酸ガスとなって発散し、硫化鉄は珪酸鉄となり、硫化銅は酸化されて銅分97から98%となります。
 これを「粗銅(そどう)」と言います。
二番吹きの様子   平成13年(2001)12月15日撮影 
マイントピア別子展示 

粗銅改め

 こうして作られた粗銅は、大阪の鰻谷へ運ばれ製品化されます。
 右の写真は、「粗銅改め」の様子を再現したものです。
 ここでは、山役人の立合いのもとに量を計られました。
 当時、銅税として、生産量の13%は幕府に納められていました。
粗銅改めの様子
粗銅改めの様子   平成13年(2001)12月15日撮影 
マイントピア別子展示 
仲持ちの様子
運ぶ

 左の写真は「仲持ち(なかもち)」の様子を再現しています。
 仲持ちとは、運搬夫(婦)のことをいいます。
 行き粗銅半製品の銅のかたまりを、帰り味噌などの生活品を運びました。
 そして、男性は45s女性は30sの荷物を背負って起伏の激しい山道を歩いて運びました。
仲持ちの様子   平成13年(2001)12月15日撮影 
マイントピア別子展示 
 この写真は、仲持ちを体験している様子です。
 マイントピア別子観光坑道内にこのコーナーはあります。
 ここでは、女性が運んでいた30sの重さを体験することが出来ます。
 背負うだけなら何とかなりましたが、これで山道を運んでいくのはとても想像を絶する大変さで、先人たちの力強さや努力を身をもって知ることができました。
 ぜひ、みなさんも一度体験してみて下さい。
 また、観光坑道内には他にも体験できるコーナーがあります。
 先人のすばらしさを体験してみませんか。
仲持ちを体験!
仲持ちを体験! 平成13年12月15日撮影 マイントピア別子展示
高橋溶鉱炉
明治期の製錬

 左の写真は、旧別子地区にあった「高橋溶鉱炉(たかばしようこうろ)」です。
 別子銅山の近代化起業の指針となった
『別子銅山日論見書』を作成した、ルイ・ラロックの提言に基づいて、旧別子の高橋に建設された製錬所です。
 当初は
低品位鉱を一番吹きにかけて粗銅までを製錬する役割を担っていました。
 
明治13年(1880)春別子最初の洋式製錬所として操業しましたが、明治15年(1882)溶鉱炉の不備により和式に転換。その後、24年(1891)頃から洋式製錬を再開しました。
 ここで精錬された
粗銅は、立川精銅場や後には新居浜惣開製錬所に運ばれ、型銅(製品)にされていました。
高橋溶鉱炉 明治14年(1879)撮影 別子銅山記念館所蔵
 右の写真の場所は、かつて高橋製錬所があったところです。
 溶鉱炉のほか様々な製錬施設が立ち並び、山中の一大工業地帯となっていました。
 明治32年(1899)別子大水害で壊滅的な被害を受け、その後再建されることはありませんでした。
 今は、その当時のカラミの跡を残すのみとなっています。
 そのカラミから芽吹いた植物たちが年数の経過を感じさせます。
高橋製錬所跡付近に残るカラミ跡
高橋製錬所跡付近に残るカラミ跡 平成13年(2001)7月24日撮影


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住友金属鉱山株式会社 別子事業所 精銅工場 工場長 露口誠一さん住友金属鉱山株式会社 別子銅山事業所
精銅工場 工場長 露口誠一さ

 
平成13年(2001)3月15日 観光ボランティアガイド講座にて収録 
 別子銅山の産銅量について
 開坑当時から現在に至るまでのようす
                       (1分00秒) 
ビデオを再生します 
4.09MB
筏津山荘ご主人 近藤鉄男さん筏津山荘ご主人 近藤鉄男さん
 
平成13年(2001)8月9日 別子山村筏津山荘にて収録 
 坑内の作業着「鋪着(しきぎ)」について
                       (0分29秒) 
ビデオを再生します 
2.01MB
 坑木(こうぼく)について
                       (1分33秒) 
ビデオを再生します 
6.24MB
 坑木台車のしくみについて
                       (0分54秒) 
ビデオを再生します 
3.67MB
 地熱について
                       (0分42秒) 
ビデオを再生します 
2.92MB


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